SPECIAL REPORT

GT選手権開幕直前・スペシャル対談!
「MAX織戸×土屋武士」PART-1
走り屋からレーサー街道へ駆け抜けたMAX織戸のターニングポイント大公開!
Text:tama

突如!臨時企画ぼっ発。06年全日本GT選手権の相棒、土屋武士選手とMAX織戸の対談を実施。
06年GT選手権にかける熱き宣誓!をするかと思いきや、話しは1993年までさかのぼり、ふたりの馴れ初めから、初ペアを組んで挑んだGT300の参戦時の裏話など、刺激と活力にあふれたエピソードを披露!
早くも名コンビの空気感が漂うふたりが、本音で胸の内をぶっちゃけた!

はじめに…。

対談場所は4月にOPEN予定のMAX織戸のダイニング・バー。休日返上でお店の準備に取りかかるMAX織戸のもとに、GT選手権でパートナーの土屋武士選手が様子伺いもかねて訪問に来てくれた。

武士 : ちーす♪ わっ、ホントに準備の真っ只中だ。
先日のGTテストで「お店作ってる」とは聞いたけど、まさかホントウにやるなんて!すごい(笑)
展開早すぎ!お店の名前は?
織戸 : 「559(ゴー・ゴー・キュウ)」。
4月頭にはオープン予定だから楽しみにしててよ。
厨房もあるしオレも作る(笑)。

武士が手がけた車両にMAX織戸が乗っていた!?

ーではさっそくですが、ふたりの出会いは?

織戸 : 出会いは1993年。もちろん、オレは会う前から武士のことは知っていたけど。
武士 : 鈴鹿フレッシュマン西コース。
織戸 : オレがN2カローラレビン(AE92)、武士がFJ1600。でね、オレが乗っていたクルマは武士がいじったクルマだったんだよな(笑)。
武士 : そうそう!メカニック時代に初めて自分でスポット増し(ボディ補強)からメンテナンスをしたクルマ(笑)。
もとはグループAの車両で、そのクルマが買い取られた先が坂東サン(坂東商会)のところだったていう。
織戸 : それをレギュレーションにあわせてN2仕様に改造してオレが乗った。
武士 : あのころよくデグナーの進入が見えるところで、織戸サンの走りを見てたよ。
まだハッキリと覚えてる。ビュッと入っていくところ。
織戸 : ビュッ!と入って、スピンしてた?(笑)
武士 : うん、してた(笑)。
坂東サンと一緒に見ていたこともあるんだけど「流し過ぎ!」とかよく言ってた。
織戸 : だって知らなかったんだもん(笑)。
速く走らせるためのセオリーって何?って感じだったから。
武士 : だって、FFだよ?
FFなのにリヤがビューっと流れているからさ。
あれじゃあ遅くなるよ〜って、丘の上からツッコミを入れてた(笑)
織戸 : だって、坂東サンがドリフトしろって言うから・・・
(一同爆笑)

ー武士選手自身が最初に手がけたクルマで走る織戸選手の図式。なんだか縁のようなものを感じますね。当時はやはり思い入れはありましたか?

武士 : うん、やっぱり自分が作ったクルマだからオレ自身も応援に熱が入るし、アドバン同士ってことでも身近な仲間意識があった。
何より織戸サンはいつも勝ちまくっていたから「自分自身も負けたくない!」という強い刺激をもらっていたよね。
とにかくあの当時は、
-お互いに上に行くことしか考えてなかった。
だから互いに頑張ろうな、頑張ろうゼっていう同志的な感じ。
織戸 : そうだね。立場は違うし、アプローチ方法も違うけど、志のベクトルは同じ。
ただ、93年当時のオレはね、ある程度までは上に行きたいとは思っていたけど、プロにはなれないよなぁ〜って思ってた。

エリートコースと不良街道、走り屋からレーサーへの突破口を探る日々!?

ーえっ? それは意外な話しですね。MAX織戸は目標に向かって一直線タイプかと。

織戸 : それは変わってないけど、いろいろな現実が見えてきて、プロの道はそう甘くないなと直面した時期でもあるんだよね。今もそうかもしれないけれど、当時はとくにフォーミュラをやっていないと上にはいけないという図式が強かったから。

ー武士選手がうらやましかった?

織戸 : うん、うらやましかった(笑)。オレもFJをやりたかったんだけど、「ハコ一筋でいったほうがいい」と坂東サンからのアドバイスもあって。同時に坂東サンには
「焦るな。いつか必ず光るから」
って言ってもらったりしてたな(笑)
武士 : でもそのころ、出るレースは全部チャンピオンを獲っていたジャン。シルビア、ミラージュとか。
織戸 : うーん・・・なんていうのかなぁ、武士はエリートコースを進んでいるって感じだったんだよな。いっぽうオレは・・・

ー不良?(笑)

織戸 : うん、まさにそれ(笑)。
オレと同じ方法でアプローチしている仲間もいて、
「走り屋からレーサーなんてかっこいいじゃん!」
ってノリ。それに武士と出会ったころって、
まさに荒れているころだったから、オレ(笑)

ーというと?

織戸 : まず、金がない。だから日中は坂東商会で、夜もバイト三昧。で、飲んで帰っては×××で、走っては×××で、あんなことしては×××でさ。
武士 : いまのとこ、全部ピーね。
(一同爆笑)

ー武士選手は当時の織戸サンと自分との立ち位置をどうみていましたか?

武士 : 織戸サンのレースはむちゃむちゃ見ていたけど、だからといって自分と比べたりする余裕はなかった。自分だけで精一杯だったから。
ただ、織戸サンはハコで、オレはフォーミュラで路線は違うけど、本当に
熱さ
は同じものをすごく感じてた。「何が何でも上に行く!」っていう。
オレらだけでなく周囲には同じ志を持つ人たちがたくさんいて、熱いモチベーションが飛び交う中で、どうやったら上に行けるのかってことで頭の中はいっぱい、いっぱい。
織戸 : そういわれてみると、いまの若いコたちの中にもあるんだろうけど、当時のほうがもっとハングリーだったかもな。みんな、ガツガツしてた(笑)。
武士 : オレはカートの経験もあるし、オヤジがレースをやっているというベースがあって、自分のレースを始めることができたから、恵まれた環境だったと思う。でもね、本当に負けたくない!って気持ちあったよ。
カテゴリーは違うんだけど、織戸サンにも負けたくないっ!って(笑)
織戸 : いやぁ、全然武士のほうが勝ってたよ!
武士 : って、織戸サンは言うけどさ、ミラージュのときなんて、数々のFF使いの重鎮ドライバーがいるなかで、チャンピオンを獲っていたジャン。それを見ていてすげ〜なぁって。
で、オレも負けてられない!と(笑)
織戸 : あのころオレね、
よく坂東サンに武士と比較されていたんだよね。
「武士はすごいぞ、こんなにすごいぞ」って(笑)
武士 : それ、報告書のこと?
オレね、横浜ゴムの水野サンに「名刺をもらった人には報告書を送りなさい」とアドバイスを受けて、アホみたいに送ってたの。1戦出ると90通くらい(笑)それを坂東サンにも送っていたから。
織戸 : オレも一応やってはいたんだけど、武士とはスタイルが全然違ってたもんな。
武士 : オレの報告書って自分が何をそのときに考えていたのか、どうしてこうなったのか。原因をしっかりと追究して、本当に包み隠さず全部書いていたからね、バカなことも(笑)。
それを当時、坂東商会の社員だった織戸サンに読まれていたのかと思うと、ちょっと・・・いや、かなり恥ずかしい(笑)

MAX織戸の師匠は土屋春雄氏&武士だった!?

ー06年はふたりがペアとなって戦うわけですが、その前にも一度、GT300にふたりはペアを組んで「つちやMR2」で参戦していますよね?

武士 : 1996年SUGO戦。あのときはウチのオヤジがMR2を作るって言い出して。
オレはそのときF3に乗っていたんだけどオヤジに「おまえ乗れ」と。で、相棒が織戸サン。
織戸 : 以前から土屋エンジニアリングには行っていたんだけど、段々とひとりでちょくちょく春雄サン(土屋エンジニアリング代表土屋春雄氏)に会いに行くようになってたんだよね。いろいろな角度からアドバイスをもらえて、相談にものってもらっていて。
で、MR2に乗せてもらうことになった。
武士 : あのときは、レースウィークの木曜日までクルマが出来上がっていなくて、織戸サンと一緒にみんなでクルマを仕上げたんだよね。まだロールケージも装着されていなかったもん。さぁ完成!となったのは
夜中の2時。
織戸 : そうそう、それで武士とふたりで積載車にクルマを載せてSUGOまで運んだんだよな。
武士 : なんとか木曜日の朝の走行には間に合った。で、いきなりシェイクダウン(笑)。
織戸 : オレさぁ、武士と同じクルマに乗ったら絶対にオレのほうが速いぜ!って思ってたんだよね。で、フタを開けてみたら武士のほうが3秒くらい速い・・・。
ドーーーーン
って、大きな岩が頭に落っこちてきたくらいの大ショックを受けた(笑)。それに武士はアンダーというのに、オレが乗るとオーバーステアにしかならなくて。この差はなんなの?って。
武士 : (笑)、あのときさ、トラックの中で擬似走行練習したジャン、覚えてる?(笑)
織戸 : 覚えてる(笑)
武士 : トラックの荷室に用意されたイスに座らされて、ステアリングを手渡されて、オヤジに「おまえ、走ってみろ」っと。はっ?ここで走ってみろって何!?(笑)
織戸 : そうそう、まずオレが椅子に座って、春雄サンに「アクセルとブレーキだと思ってオレの足を踏め。1周、走ってみろ」と。だからエンジン音は口で
「ブーン、ブーン、ブーーーーン」
って言いながら1コーナー、2コーナーと頭の中でコースを描きながら走っていると、「そうじゃない」と返される(笑)。
パドック裏に停めてあるトラックの中でやっていたから、いろんな人たちにその様子を見られちゃって、・・・スゲーこっ恥ずかしかった。武士とも両足を合わせてやったよね(笑)
武士 : 織戸サンと向かい合わせになってね(笑)
織戸 : まさに人間データロガー。すごくアナログなんだけどブレーキの強弱などよくわかる(笑)。
で、全然タイミングが違うってことが判明して、なんでこんな走らせ方なの?と
ハテナマークが頭の中にたくさん飛び交ったよ。
武士 : 「ブレーキをぐって踏んで、そこでハンドルを切るからオーバーになるんだよ、そこはブレーキを抜きながらハンドルを切る!」とかね(笑)
織戸 : そのころのオレはリヤタイヤのことなんてまったく考えてなかったし、タイヤのタレも考えたことがなかった。リヤが滑るのはオレが悪いと思っていたから。
武士 : だからオレが滑らす前にリヤタイヤのブロックをつぶすんだって(笑)
織戸 : なんだよ、つぶすって?全然わかんね〜ってな会話だったよね(笑)

ークルマはシェイクダウン、初コンビ。でも序盤はトップを走るなど速さを見せましたよね? 擬似走行練習シーンも含めて、今となっては武勇伝的な1戦ですね!(笑)

武士 : ある意味そうかも(笑)。おまけにそのときのMR2は、ホワイトボディのはずだったんだけど、クルマを軽くし過ぎたことがわかって、急きょ、ドアとボンネットを重いモノに交換した。けどカラーは黒。だからパンダみたいなクルマになっちゃった(笑)。
織戸 : ・・・この1戦で、オレ、しみじみ思った。生きている道が違うと、こうも感覚が違うんだなぁって。改めてフォーミュラドライバーのすごさを知った。
それからはクルマのことや走らせ方をより深く勉強するようになって、街乗りのクルマでさえもGTカーに似せたセッティングにして。
大げさに言うと、ハンドルを切ると後ろがすぐに滑るようなセットにしたの。これでリヤを出さないように走らせる練習をしようと。

ー織戸選手にとってはターニングポイントとなる1戦だった?

織戸 : うん、タイヤのこともすごく意識をするようになったし、オレ自身が大きく変わるきっかけとなるレースだったと思う。
だからオレの中では武士は師匠だよ。
武士 : 師匠だなんて大げさだよ〜。
織戸 : ホント、ホント(笑)。オレさ、ずっと我流だったから誰かに教わるってことがそれまではあまりなかったんだよね。
唯一、ドライビングを教えてもらったのは武士。武士と、土屋春雄サン。
武士 : そんなんさ、教えたつもりなんてまったくないもん(笑)

武士選手がある意味、いまのMAX織戸選手の原型を作った!?という事実が判明したところで、「MAX織戸&武士対談」パート1は終了。次回はさらにふたりの胸の内に踏み込み、GT選手権を制すために必要な「鍵」となるファクターについて語ります! お楽しみに!!